世界が評価する大東亜戦争 ~世界の偉人は日本の戦いをどう見たか?~
皆は、かつて日本が戦った戦争を小中学校ではなんと教えられてきただろうか?
きっと「太平洋戦争」や「第二次世界大戦」と教えられたはずだ。
しかし、本来はかつて日本政府が閣議決定して決めた「大東亜戦争」が正しいはずであるのに、それを使わない教えられないというのはどういうことなのか?
1945年の夏、日本はアメリカとの戦争に敗れた。
その後の占領下の日本において、アメリカはこの戦争を「正義の国・民主主義国家アメリカが極悪非道の独裁国家・日本を倒した」と徹底的に宣伝してきた。
その結果、多くの日本人が「日本は悪い侵略国家だった」と信じ込んでしまっている。
果たして本当にそうか?
戦前の日本は極悪非道な侵略国家だったのか?
そもそも日本は、欧米列強によるアジアの植民地支配を解放し、日本を盟主とする共栄共存の新たな国際秩序『大東亜共栄圏』構想を掲げていた。
しかし、アジアに多くの植民地を持つアメリカやイギリスから横槍が入ったために、日本は米英と戦わざるを得なかったのだ。
この英霊たちによる植民地主義に対する戦いを否定する輩がいることも事実であるが、世界の偉人から見て日本の大東亜戦争はどの様に評価されているのか見ていきたい。
ダグラス・マッカーサー元帥|連合国軍最高司令官
「(日本)は綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。
(中略)もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、1,000万人から1,200万人の失業者が発生することを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった同機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」
この言葉は、マッカーサー元帥が1951年5月3日にアメリカ上院の軍事外交合同委員会の聴聞会で述べたものである。
特に最後の部分、”Their purpose therfore, in going to war largely dictated by security.”はよく知られている言葉だ。
東京裁判を主導した敵国の総大将が「日本は主として自衛のために、仕方なく戦争をした」と言ったのだ。
これに先立つこと半年前にトルーマン米大統領に「東京裁判をやらせたのは間違いだった」とも語っている。
チャールズ・ウィロビー将軍|GHQ参謀部長
「東京裁判は史上最悪の偽善だった。もしアメリカが同じ状況に置かれたら、日本と同様に戦争に出たに違いない」
東京裁判の判決後、ウィロビー少将は帰国の挨拶にやってきたオランダ代表のベルト・レーリング判事にこの様に語ったのである。
オーウェン・ラティモア|アメリカ人中国学者(中華民国顧問)
「日本が立派にやり遂げたことは、アジアにおける植民地帝国の19世紀的構造を破壊することであった」
大東亜戦争が起こるまでは、有色人種の国家は二流以下の国家で「白人国家にはかなわない」という諦観が世界を覆っていた。
しかし、アジアの小国である日本が白人国家相手に戦ったことによって、その考えは否定され、結果的に列強による植民地主義に終止符を打ったのだ。
アーノルド・J・トインビー|イギリス人歴史家
「日本人が歴史上に残した業績の意義は、(中略)アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、(中略)不敗の半神でない事を明らかにした点である」
多くの歴史家が言っているように、「日本のおかげで人種平等の世界が来た」というのは事実である。
ヘレン・ミアーズ|GHQ諮問機関「労働政策11人委員会」メンバー
「いったい私たちは公正な裁判官を辞任できるほどの潔白で聡明なのか」
「これは正義でない。明らかにリンチだ」
ブン・トモ|インドネシア情報相
「大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。
そして実は我々の力でやりたかった。
それなのに日本だけ担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった」
バー・モウ|ビルマ(現ミャンマー)国家元首
「日本ほど、アジアを白人の支配から解放するのに尽くした国は、他にどこにもない。
にも拘らず、(中略)これほどまでに誤解されている国もまたない」
パラバイ・デサイ|インド法曹界の最長老
「インドはほどなく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。
インドの独立は日本のおかげで30年早まった」
シャルル・ド・ゴール|フランス第五共和政初代大統領
「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」
ガザリー・シャフィー|マレーシア外務大臣
「どうしてそんな挨拶をするのか。我々はペコペコする日本人は嫌いだ。
大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。
(中略)その偉業を忘れて、政治家たるものが、ステレオタイプのように同じ言葉でお詫びをする。
人種がすっかり変わってしまったのかと思ったよ」
(日本の某参議院議員に「過ぐる大戦において、我が国は貴国に対し、ご迷惑をおかけ して申し訳ありません」と挨拶されて)
ククリット・プラモード|タイ首相
「日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである」
ラジャ・ダト・ノンチック|ASEAN提唱者・マレーシア上院議員
「かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切で心豊だった
アジアの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命尽くしてくれた」
この様に、日本が立ち上がらなければ今のような人種平等の理念は世界に広まらず、もしかしたらまだ白人支配の植民地主義が今も続いていたかもしれない。
また現代において人種差別撤廃や平等の訴えが、あたかも欧米から波及していったと錯覚するが、実は国際会議の場において人種差別撤廃を明確に主張した国は、何を隠そう日本が世界で最初だった。
それが1919年の「パリ講和会議」での出来事である。
当時の大日本帝国は連合国側として参加し、この会議の国際連盟最終委員会において、日本は国際連盟規約に人種平等を明記した「人種差別撤廃」の条項を入れるべきだと提案した。
イギリスとオーストラリアが反対する多数決で「人種差別撤廃提案」は出席者16名中11名の賛成多数を得るに至った。
しかし、議長だったアメリカ大統領のウィルソンは「これは重要なことだから全会一致でなければならない」と謎の理屈で多数決を拒否し不採択としたのである。
こうして日本が世界で初めて提案した人種差別撤廃提案は葬られたのである。
第二次世界大戦が終わり1948年に第3回国際連合総会で「世界人権宣言」が採択されたが、それまでの「人権」といえば ”白人の” 人権だけを指していた。
この時からようやく有色人種(黄色人種も黒人も)が皆平等だと謳われるようになったが、これもまた日本が大東亜戦争を戦った大きな成果だ!
今からでも遅くはない。
日本人よ、誇りを持て!