賢者は歴史に学ぶ

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LGBTをどう思うか?

LGBTダイバーシティ&インクルージョンについてどう思いますか?」

みたいな何だかぬるい質問が会社の中で飛び交っていたので持論を述べたいと思います。

まずカタカナばっかりで言いたいことや意味が伝わりにくいのマジでどうにかして欲しいんですけどね。

そんなに日本語を使うのが嫌なんでしょうか?

 

さて本題

人が誰を好きかなんて隣の人が右利きか左利きかくらいの感覚で居れば良いのに、何故わざわざ議論にあげたり表舞台に引き摺り出す必要があるのか疑問です。

ただそういう人に限って「私はLGBTに理解があります!」とか主張するんですけど、なんだかそう言うことによって自らにラベルを貼り、彼らをまるでアクセサリーの様に扱っている様に見えてきて正直そういった人は好きではありません。

 

会社の中での質問ですが、会社という小さな共同体ではなく、社会全体を通して感じてることを書きます。

私は最近の多様性ブームに嫌悪感を持っています。

その理由は、多様性についての主張の代表としてよく持ち上げられるいわゆる極論フェミニスト

彼らの存在の裏には日本共産党社民党立憲民主党といった連中が居るのは有名な話でしょう。

そして、奴らが推し進めているのが「移民政策」と「外国人地方参政権」です。

こういった愚策には断固反対ですが、ご存知ない方も多いかもしれませんが言うなればこれは「武力行使を伴わない日本国の乗っ取り」です。

武力行使を伴う乗っ取りは、今日もなお竹島尖閣諸島で現実に起こっていますね。

日本を乗っ取るために多様性といういかにもな表現で知らず知らずのうちに国民のハードルを下げさせ、悪くないものだと錯覚させ世論が傾いた後に一気に畳み掛ける。

それが彼らのやり方です。

そういった面があるが故に一概に多様性という主張に対して安易に同調しない姿勢をとっています。

考えすぎと言われるかもしれませんが、起きてからでは遅いのでそのための準備は必要と思います。

口癖の如く多様性多様性と常日頃から言うならばチベットウイグル南モンゴルの人たちが人権侵害され続けていることに声を挙げてください。

LGBTの議論はそれからでも遅くありません。